2024年9月25日、2022年度熊野寮祭企画「総長室突入」に参加した京大生5名に対し懲戒処分(うち4名に対し二ヶ月停学、一名に対し一ヶ月停学)が京都大学当局により下された。我々熊野寮自治会は、この懲戒処分を京都大学当局による学生の異議申し立て活動に対する不当な弾圧として糾弾する。以下に理由を述べる。
○総長室突入の正当性
2022年度寮祭企画「総長室突入」は学生との対話を拒み強権的に管理強化を進める京都大学当局に対する抗議の直接行動として、以下のような事項を要求した。
・保健診療所を廃止前と同水準で再開すること
・コロナ禍に乗じたサークル規制をやめること
・11月祭に対する介入をやめること
・学生自治寮への介入をやめること
・京都大学立看板規程を撤廃すること
・学生の活動に対する警察導入をやめること
・学生懲戒規程を撤廃し、2016年から続く学生処分を撤回すること
・学生の自由な活動を制限する一方的な授業改革(CAP制)をやめること
・教職員に対する非正規職化や雇用雇止めをやめ、無期雇用転換を積極的に行うこと
・各学生自治組織、並びに教職員組合からの団体交渉要求に誠実に応じ、合意に基づいた大学運営を行うこと
以上10項目は学生や教職員の一般的利益として極めて正当な要求であり、事実企画当日には200名以上の学生が参加した。しかし、京都大学当局は事前に学生との対話抜きに一方的に告示を掲示して本企画を禁止し、学生窓口である厚生課へ行けと学生に指示してきたのみならず、最終的には警察を学生との合意なく入構させ学生を排除しようとした。
しかし、熊野寮自治会含め学生はこれまでも継続的に厚生課窓口を通じ再三京都大学当局に対し改善を要求し続けており、それでも当局による管理強化は止まらなかったがために本企画のような抗議行動が起こされているのであって、この抗議活動に対してもこのような対応をとった京都大学当局は自身に対する批判に対し極めて不誠実に対応していると言わざるを得ない。
そして、本懲戒処分は「学生を扇動」し「喧騒を激化」したことを理由に学生5名を停学処分にしているが、これは当局が自身への批判を取り合わずただ「喧騒」として矮小化して鎮圧しようしていることの現れであり、今回の懲戒処分が当局が管理支配を強権的に進めていく上での政治的な弾圧として行われていることを示している。「総長室突入」が熊野寮自治会によって主催され多くの学生も参加した大規模な抗議行動であったにもかかわらず今回の五人のみに対し懲戒処分が科されているのは見せしめであり、学生の抗議行動を萎縮させるものである。
「総長室突入」によって明るみに出たのは、抗議者に対し一方的に警察を導入したり懲戒処分したりする、学生と対話などする気のない現在の京都大学執行部の独裁的な態度だったのである。
○停学処分の重さ・プロセス的な問題点
また、今回かけられた停学処分は処分対象者の学生に多大な負担を強いる過酷なものであり、その決定に至るまでのプロセスにおいても問題がある。
停学処分は対象となる学生の大学施設への出入りの一切を禁止するにも拘らず学費を徴収するため、事実上の罰金刑としての側面が存在する。また、今回下された懲戒処分は休学中の学生の休学状態を強制的に解除し、学費の支払い義務を発生させている。これは学生に決して安くはない学費を罰金として科すことにより京都大学当局に抗議する政治的な発言を封じようとするものであって、強く非難されるべきである。
特に今回の懲戒処分は9月の末に通達されたため9月の末のわずかな日数に対しても一ヶ月分の学費支払い義務がきっかり発生しており、一ヶ月停学の場合は二ヶ月分の、二ヶ月停学の場合は三ヶ月分の学費の支払い義務が発生している。これによって京都大学当局は定められた停学期間で実際に構内に入ることのできない期間と学費の支払い義務を最大化しようとしており、全く姑息な工夫であると言わざるを得ない。
また、過去の懲戒処分と同様に処分の決定に至るプロセスには問題が存在する。懲戒処分の対象となる学生は、聞き取り・弁明の機会の付与と称して京都大学当局から呼び出しを受けるが、この呼び出しは非公開・証拠の提示なし・弁護士含む第三者の同伴禁止などの不当な条件の下で行われる。これでは強権的かつ恣意的な証言の解釈が行われる、本人の意思に拘らず謝罪と反省を迫られるといった危険性がある。そしてなにより当局に対して弱い立場にある学生に対し、権力を持つ当局が一方的に処罰を押し付ける不均衡な構図自体非常に抑圧的で不当なものである。
さらに、今回の懲戒処分に至るプロセスでは教授会による自治もまた無視されている。文学部から送付された陳述の機会を与えるとする文書において、処分者のうち一名に対しては当初譴責処分が検討されていると記載されていたが、実際にその学生に降ったのは一ヶ月の停学処分だった。ここから、文学部教授会が譴責処分で懲戒処分を上申したにも関わらず、総長により決定が覆され、教授会の判断よりも重い一ヶ月の停学処分が下されることになったと推測される。比較的軽いものになったとはいえ譴責処分を上申した文学部教授会の判断自体もまた批判されるべきものではあるが、学内自治の重要な構成員である教授会の議論の結果を無視して、さらに重い懲戒処分を独断的に下した京都大学当局の行動は教授会自治も踏み躙る極度の横暴であり、現在の当局の管理強化を一方的に進める姿勢をよく示す悪質なものである。
○学生処分の本質的な不当性
そもそも今回の懲戒処分に限らず、近年京都大学当局が行ってきた学生の行動に対する恣意的な処分は全て不当なものであり、学生全体への抑圧に他ならない。
2016年以降、京都大学当局は熊野寮生を中心とした10名以上の学生に対し懲戒処分を行ってきたが、過去のこれらの処分も今回と同様の性質を持っている。過去にも京都大学当局は「業務妨害」を口実に、大学当局による管理強化・自治寮への攻撃に抗議した学生に対して、学生の言い分は一切顧みずに学生懲戒規程を恣意的に運用することによって懲戒処分を濫用してきた。その結果、学生は立て看板の一方的な規制や窓口における職員の不正な行為など、大学に疑義があっても、処分のおそれを前に萎縮させられ、理不尽を強いられ、大学の規制を受け入れざるを得ない状況に追い込まれてきた。こうして自治破壊が行われてきたのである。
学生処分の問題は処分の対象となった学生だけには限定されない全学生にとっての問題である。特に、当局による廃寮化攻撃を含めた管理強化に抗議した学生が恣意的に処分されている以上、学生処分の問題は廃寮の問題と一体であり熊野寮自治会として看過できるものではない。また、学生処分は、数十年来、国策としての大学改革が学生の声を無視して一方的に進められ、全国の大学が「採算を取る」ことを要求される中で、多くの学生寮が廃寮に追い込まれ、学生の学びは管理され、生活が破壊されてきたことと一体の問題である。現在東京大学をはじめ、全国の大学で学費の値上げが問題となっている。これは大学改革政策における学生の生活破壊の最たるものであり、許されるものではない。京大当局も熊野寮や吉田寮との交渉を一方的に打ち切って廃寮化攻撃を行い、保健診療所も反対の声がある中で廃止を強行し、学内のガバナンス強化を要する国際研究卓越大学制度に率先して応募するなど大学改革を先頭で推し進める張本人として存在している。以上のような「改革」の障害となる学生に対して処分が行われてきたのである。
○終わりに
以上のように、本懲戒処分は管理強化を独断で進めようとする京都大学当局が抗議する学生に対し下した恣意的かつ過酷な攻撃に他ならないのであって、最も強い非難の言葉に値するものである。京都大学当局に対し我々熊野寮自治会は、当該5学生に対する懲戒処分を即時撤回し、「総長室突入」の要求10項目を受け入れることを求める。
熊野寮自治会