声明文

 

 京都大学は誰のものか? ーー湊総長のものである。少なくとも、現時点では。

 

 この20年と少しの間に政府主導で進められてきた大学改革は、これまで教職員や学生が協議し自主的に作ってきた大学の自治を徹底的に解体した。教授会は決定権を喪い「求めに応じ、意見を述べる」(※1)だけの存在となった。学生は対話を拒否され、窓口や「学生意見箱」などで質問・抗議を行なっても「1つのご意見として承ります」などと官僚答弁しか返ってこない状態だ。かくして当事者たる学生・教職員は大学の意思決定から排除され、京都大学においては湊総長と10人の理事で構成する役員会が決定権を独占した。今や京都大学内の建物や土地、細々とした備品の一つに至るまで、一切が役員会の管理下にある。

 

 その下で何が起きているのか? 権利の剥奪である。立て看板やビラ配り、集会、学祭などを次々に規制し、表現や交流の場が日々縮小されている。コロナ禍を利用して学生の課外活動を全面規制し、部活やサークル活動をはじめとした学生文化を衰滅の危機に陥れている。それどころか保健診療所を廃止し、安価な学生自治寮から寮生を追い出すために裁判まで起こして学生の健康や生活を脅かしている。教職員もまた、次々に非正規雇用に置き換えられて雇い止め解雇の危機に晒されている。大学教育においてはキャップ制や課題の増加などによって選択の自由が制限され、大学生活が息苦しいと感じている学生は多いのではないだろうか?

 

 大学の私物化は、学問研究を国や企業の利益追求の手段に変えている。国からの交付金削減は、研究者を国や企業から資金を得るための無意味な競争に駆り立て、自主性と活力を奪った。学生への管理強化は、大学を批判精神を養う場ではなく国や企業にとって都合の良い従順な人材を出荷する「就職予備校」へと変えている。さらに「経済安全保障」の名で先端技術研究の秘密化・軍事転用や留学生排除が進められようとしているが、その先頭に立っているのは他ならぬ京都大学の湊総長である(※3)。大学とは、人類社会全体の幸福を目指し、分け隔てなく自由闊達に議論する場ではなかったか? そうして個の限界を超えて人間の可能性を広げてきたのではなかったか? 強者によって私物化された大学が生み出すのは、分断と支配、競争と格差である。我々が望むのは、当事者である学生と教職員が協力しあって運営する自由と可能性に満ちた大学である。

 

 今の京都大学は監獄だ。権利の剥奪や大学の変質に抵抗する学生への懲戒処分(放学・停学・譴責)は2016年以来のべ23人にのぼり、4年以上も停学のまま無意味に学費を払わされ続けている学生すら存在する。あるいは学生を黙らせるためには警察すら導入し、抗議集会やイベントを行うたびに数十名の警察官を配置し、挙げ句の果てに学生のビラ配りやビラ貼りを「建造物侵入」「器物損壊」などとして被害届を出している。

しかし我々は諦めずに行動し続けてきた。何度も窓口に赴いて対話を求め、要求書を提出し、祭りやコンパを通じてキャンパスに交流の場を作ってきた。学生なら誰でも住める安価な学生寮を守ってきた。全学的な協力関係を作り、学生処分の撤回を求める集会を何度も開催したことで、新たな処分は出されず、動員された職員がキャンパスでのイベントをほとんど規制できない状況を生み出している。

 

 我々は、一切の権利の剥奪を認めない。我々は、奪われたものを取り返す。そのためには、あらゆる批判を無視抹殺して管理権を振りかざしてきた湊総長を、人々の力で追及しなければならない。彼は権力の座に引きこもっている。なればこそ、我々は防衛に駆り出される職員や警察官の壁を乗り越えて総長室に乗り込み、直談判しに行く。

 

「大学はお前の私物ではない。みんなのものだ。奪ったものを今すぐ返せ」

 

 大学の現状に不満を持つ学生諸君、あるいは教職員たち、社会を憂う全ての人々に訴える。権利は無くなったのではなく奪われたのだ。奪った者がいるのだ。ともに総長室に突入し、湊総長に直接追及しよう! 大学の意思決定権を奪い返す行動に立ちあがろう!

 

※1 学校教育法第九十三条より引用。

※2 唯一、労働組合による団体交渉は行われているものの要求を受け入れる姿勢は全くない。また、数年前に学生数名との少人数交渉を行なった例もあるが、現場で副学長がその権力を背景に学生を恫喝する事件が起こっている。

 

※3 湊総長は今年5月に成立した経済安保法に対応して、10月1日付で「経済安全保障」担当の理事を任命している。